これは1909年に刊行された「 Wie erlangt man Erkenntnisse der hoeheren Welten? 」を元にしたお話です。R・シュタイナーの四大著作の一つなので、ご存じの方も多いでしょう。
最初は、雑誌に連載されたもので、1907年に特別号で一冊にまとめられ、1909年に単行本として出版されました。その後、1918年までに何度か改訂版が出版されました。

日本では高橋巌氏が訳した「いかにして超感覚的世界の認識を得るか」(ちくま学芸文庫)が良く知られていると思いますが、松浦賢氏や鈴木一博氏が訳したもの等、複数出版されています。

いつも書いていますが、これから書くことは私の独自の解釈であって原文を日本語に訳したものではありません。

今回は、前回までの「秘儀修行の効果について」のお話の続きです。
初めての方は、このシリーズの最初「いかにしてより高次の世界の認識を得るか その1」から読むことをお勧めします。
しつこいようですが、これから書くことは、上記の著作に書かれていたことに対する、私の独自の解釈であり、著者の真意をお伝えするものではありませんが、一緒に高次の世界を目指してみましょう。

秘教的修行が、蓮華が動き始めるところまで進むと、修行者はエーテル体に特殊な流れと動きを出現させる過程の多くをすでに達成していることになります。この発達の目的は、肉体の心臓部に一種の中心が形成され、そこから多様な霊的色彩と形態の流れと動きが発散してくることです。
この中心は単なる点ではなく、高度に複雑な構造をもつ驚異的な器官です。それは霊的に極めて多様な色彩で輝き、きらめき、非常に規則的で、しかも急速に変化することができます。そして、この器官からさらに様々な色彩と形態の流れが体の各部分へと流れ、さらには体外へと広がり、魂全体を貫き、照らし出します。しかし、これらの流れの中で最も重要なのは、蓮華へと至る流れです。
それらは個々の花弁に浸透し、その回転を制御します。そして、花弁の先端から外側へと流れ、周囲の空間へと拡散していきます。人が発達するほど、これらの流れが広がる半径は大きくなります。
十二弁の蓮華は、前述の中心点と特に密接な関係があります。流れはそこへ直接流れ込み、そこから一方の側を通って、十六弁の蓮華へと流れ込みます。他方で、左上の二弁の蓮華、右下の八弁、六弁、四弁の蓮華へと流れ込みます。
十二弁の蓮華は、秘教修行において細心の注意を払う必要があります。もしここで少しでも問題があれば、この器官の修行全体が乱れてしまいます。このことからも、秘教修行がいかに繊細で緻密なものであり、すべてが適切に発展するためにはいかに精密に進めなくてはならないかが理解できます。また、他者に修行させるべきすべてのことを自ら経験し、自らの指導が望ましい結果につながるかどうかを十分に認識できる者だけが、超感覚的能力の開発に関する指導について語ることができるということも理解できます。
秘教修行者が指示されたことを実行する時、その人は人類が属する世界の法則と進化に調和したエーテル体の流れと動きを自らに教えます。したがって、指示は常に世界の進化の偉大な法則を反映しています。それらは、瞑想と集中の訓練から成り、適切に適用されたならば、前述のエーテルの流れを生み出します。修行者は、訓練の内容を魂に完全に浸透させ、いわば内面的にそれらで完全に満たされなくてはなりません。それは、心の知的かつ理性的な思考を深め、内面化するのに特に適した、単純な訓練から始まります。こうして、この思考は解放され、あらゆる感覚的印象や経験から独立します。ある意味で、思考は個人が完全に制御できる点に集中されます。こうして、エーテル体の流れの中心が形成されます。この中心は最初は心臓の領域にあるのではなく、頭の中にあります。霊視能力者にとって、それは動きの起点としてそこに現れます。この中心を最初に確立する修行だけが、完全な成功を収めます。もし最初から中心が心臓の領域に置かれていたら、修行者は確かに高次の世界を垣間見ることができたかもしれませんが、高次の世界と感覚世界とのつながりを真に理解することは出来ません。そして、これは発展段階にある人類にとって不可欠なことです。霊視能力者は狂信者になってはいけません。しっかりと地に足をつけていなくてはなりません。

今回はここまでです。

興味がありましたら、魂の夜明け(別館)の方もよろしくお願いします。